私が初めて喪服を着たのは祖父お通夜だ。
まだ23歳だった私は、もちろん自分の喪服など所持しておらず、
祖父を病室で看取った悲しみと喪失感を引きずる間もなく地元のデパートへと急いだ。
礼服売り場は黒一色で、病室を後にした時に振り払ってきた感情が目の前に色として現れたような感覚だったことを思い出す。
両親が共働きで忙しく、祖父母と過ごすことが多かった私にとって、祖父の死は大きな喪失であるとともに、
ここからまた新たな意思を持って人生を歩んでいかなければならないと考えるきっかけとなった。
漠然と襲ってくる不安感を振り払うように、礼服売り場でハンガーにかけられ、ぎゅうぎゅうに吊るされた喪服を次々と手にとった。
こんなときでもデザインのチェックは欠かさない。
私はアパレル業界で勤めていた。
私には憧れの喪服があったが、そのことは誰にも言ったことがない。
「憧れの喪服」と言うとなんとなく不吉な趣味のように聞こえる気がするからだ。
ハンドクロシェのセットアップにチュールの付いたシューハットを合わせたい、と思い描いていたが、
おそらく海外の映画か何かで見た葬儀の参列者のファッションに影響されたもので、
日本の通夜では現実的ではない。
そうやって礼服売場の限られた中から選んだ一着は、
七分袖のワンピースと長袖のジャケットのセットという非常に無難なものだったが、
カメリアのコサージュ付だったところが気に入っていた。
価格は約50,000円。
23歳の私にとって思い切った買い物ではあったが、なんの抵抗もなく購入できたのは必要に迫られていたからだろうか。
どこか達成感を覚えながらデパートから去ろうとしたとき、催事場に掲げられていたある文字が目に飛び込んできた。
「礼服バーゲン」。
その横のポップには「29,000円均一セール」とある。
しばし思考が停止し、足も止まったが、時間もなかったのでその場を後にした。
いまではインターネットで手軽に好みのデザインを吟味したうえで、価格の比較も簡単にできる。
サイズなどの不安はあるにしても、そろそろインターネットでの買い物に慣れてきている頃の我々には些細な問題のように思う。
そんな私は最近通販で喪服を買い直した。(50代喪服)
そうして私は初めての喪服を手にしたわけだが、実際に喪服を着て通夜の会場に立ち、驚いたことがあった。
母が着ている喪服と全く同じデザインだったのである。
胸元のカメリアのコサージュまでそっくりそのまま同じ。
母と顔を見合わせて笑った。
両親に代わって、両親の分まで愛情をたっぷり注いでくれた祖父の通夜で、母との繋がりを強く感じることとなった。